( Forest of Steel / 05200419 )
「……いや、しかしなんッつーか。すげえねこりゃ」
スーツ、ネクタイ、シャツ、革靴。
着衣のほとんどを黒で統一した痩身の――しかし、髪だけは雪のように真白い男が呟く。
眼前の死体の在様に対する、中島烈春 の素直な感想だった。
言うまでもなく、目の前のそれは先に狩られた獲物の骸だ。
同時に、魔術機関『七堂伽藍 』に属す、烈春の同僚の骸でもある。
かつての朋輩を眺める彼の視線は、しかしあくまで平静だった。
殊更興味なさ気に、それでいて一瞬も目を逸らさず。
ただ漠然と、網膜が映す現実に見入る。
「二百――いや、三百ってトコか」
血塗れた肉塊の傷数を探る。
肩、肘、掌、脇、背、腹、腿、膝、脛。
およそ全身に刻まれた金創は、しかしそのどれもが死という結果に連結しない。
真に必要なのは一つだけで、後の二百九十九はデコレーションだ。
心の臓を一突き。
他の雑さに比べ、そこにある痕は、波紋一つない湖面のような静謐を想起させた。
「【多重閉塞】、ね」
零し、スーツの内ポケットから煙草を取り出す。
ジッポの篝 とオイルの微臭。
慣れた手つきで火を点し、そのまま溜息をつくように上に向かって紫煙を吐いた。
朝方とはいえ、空はまだ冥い。
黎明に解ける白気をぼんやり眺め、烈春は何ともなく一握りの虚しさを覚えた。
「……いい趣味してる。初撃で勝負決めてるクセに、その後わざわざメッタ刺して、その上首まで斬り落とすかよ」
視線は再度地に堕ちる。
足元に座す肉塊。
全身という全身を朱で染めたそれは、常人には二秒と正視できない未曾有の惨劇。
あるいは、かつてヒトだった事を疑いたくなるという意味で、それは骸というより芥と言った方が正確だろう。
仮に“殺”という概念を物体化するとして、目前のこれに勝るモノもそうはない。
それは、常として狩る側で在り続けてきた、中島烈春故の絶対評価。
転じて、だからこそ測り違えようのない相対評価とも言えた。
「……あー、マズいんだよなぁ。こういうの魅せられちまうと、どうにも」
苦いぼやき。反面、口元が携えるは微かな笑み。
掌を額に押し当て、悔やむように嗤うように烈春は言う。
飽きるほど吸い慣れたセブンスターが、いつもより美味くて仕方がない。
咽喉 の奥に沈殿する鈍色 の甘味。
それは証左だ。
自身の精神が抑えようもなく昂っている。その、これ以上ない証左。
麻薬のような心地良さ。
何か禁忌めいた火照りが、肺より溢れて全身を浸す。
細胞という細胞が、沸々とした衝動を叫喚する。
それはきっと、およそ誰もが持ち得る、最も原初的で破壊的なセンセーション――――
「どうにも興奮するよねえ。こう、なに。殺傷意欲っていうの? そういうのが沸いてくるってーかさ」
澄んだ音素が鼓膜を揺らした。
浮遊していた思考の合切が、瞬間の内に霧散する。
耳元で響いた甲高い声質は、勿論にして烈春のものではない。
鼻腔をくすぐる甘美な芳香。
首に回された白い小腕 。
背平 を圧迫するふくよかな双丘。
男の神経を刺激して止まないそれらは、女だけに許された特有の誘引剤だ。
「……遅ぇよ。どこほっつき歩いてた?」
「寝てた」
簡潔な回答に、烈春もまた「あぁそう」と簡潔に返す。
半ば予測していたという事もあるが、何より、彼女に対しての説教がどれほど無意味であるか、彼は経験で知っていた。
「反応薄いなぁ。あたしに抱かれて勃たないとか、なに? 烈春さん、不能?」
「生憎と正常だ。お前の色が足りてねぇんだろ」
「きっつー。これでも少しは成長してんスけど」
「79」
「御名答。ちなみにB」
「…………ハッ」
「うわ、鼻で笑いやがったよこの人!」
場にそぐわない軽妙なやり取りが応酬する。
挨拶代わりの平凡な対話。
彼らにとって、この空間は通常であり日常だ。
だから普通に話し、普通に戯れ、普通に笑う。
異物。
“魔術師”という越軌者としての在り方を、彼らは無意識の内に体現していた。
「で、鬱陶しいからとっとと離せ」
首筋に巻きついた二本の腕を強引に解く。
途中聞こえた「むー」という唸り声は、当然のように無視された。
残り短くなった煙草を踵で潰し、振り返る。
佇立していたのは、未だ少女と言って差し支えない外見の小柄な女だ。
肩口ほどのショートカットに、すっきりとした二重が印象的な顔立ち。
ネクタイ・サマーセーターに、チェックプリーツのスカートとローファーという服装から、彼女がどこぞの学生であるという事が窺い知れる。
妃織部円 。
烈春と同じく、七堂伽藍に身を置く、彼の数少ない知人の一人だった。
「んでどですか、今回のは?」
何でもない事のように円が問う。
まるで、明日の天気でも聞くような気軽さ。
「いつも通りだろ。こう、ズッパリと」
言いつつ、烈春は自らの首を親指でなぞった。
朧気に湧いた吐瀉欲は、まだ見ぬ殺人鬼への羨望か。あるいは異物たる己への怨望か。
諦観めいた瞑目。
少女の怠そうな嘆息が、大気を撫ぜる。
「てコトは、まーた例の首狩魔ですか」
「だろうな。これで何人目だ?」
「二十六……あー、いや。コレ合わせたら二十七」
「そりゃ豊作だ」
「しかもここ二週間で、ですよ? ……ったく、事後処理に追われるこっちの身にもなれっつーの」
愚痴り始める円。
付き合わされる側としてはうんざりだが、しかし心境は理解できなくもなかった。
現在、この街で連続している猟奇殺人。
首を斬り取るという異常性もさる事ながら、わずか二週間で二十七人という大量の犠牲者を出しているそれは、しかし未だ表沙汰にはなっていない。
隠蔽しているというわけでなく、警察自体、その事件を認識していないのだ。
理由は明快。
犠牲者の中に、一般人は一人として含まれておらず。その全てが、魔術師と呼ばれる極めて特異な存在だからである。
「魔術とは神秘であり、神秘とは秘匿されなければ意味を為さない。故に、それを扱う魔術師もまた、その存在を隠し通さねばならない――と。……理屈はわかりますけどね。だったら、こんな簡単に殺されてんじゃねーって話ですよ」
言い分はともかく、円の指摘はもっともだ。
魔術師が公の場で死を晒すなど、密偵が敵陣の最中で居眠る行為にも等しい。
存在を隠すとは、つまり、生き様も死に際も見せてはならない。
その足跡は、魔術師によってしか認知されず。その骸は、魔術師によってしか埋葬されないという事。
『七堂伽藍』とは、神秘を隠匿し、神秘を抑制し、神秘を独占するために成立した、言わば一種の司法機関なのである。
「ま、そのための処理班 だろう。何人死のうが、痕跡が残らなければ問題はねぇんだからな」
「そうですけど……っていうか、『俺ら』って何さ。働くのはあたし一人で、烈春さんほとんど何もしてないじゃん」
「仕方ねぇだろ。同僚が優秀すぎるおかげで、俺まで仕事が回らないんだから」
「え――そ、そうかな?」
照れたように紅潮。
明らかな世辞だったが、少女に対して効果は抜群であったらしい。
えへへと口元を緩ませる単純娘に呆れつつ、烈春は最後の煙草を口にくわえた。
――と。
ヴーッ ヴーッ ヴーッ
「お、ッと」
烈春のポケットに振動が走る。
取り出した携帯の着信灯が、赤く明滅を繰り返していた。
折りたたみ式のそれを開き、受話相手を確認する。
ディスプレイには、味気ない電子筆跡で【誘凪伊織】の四文字。
「げ」
「誰?」
「……副長」
あー、と納得する円。
できれば無視したい相手だが、さりとて上司からの連絡を袖に振るわけにもいかない。
諦めて、通話キーを押す。
聞こえてきたのは女にしてはやや低めの声音――俗に言う、ハスキーボイスというやつだった。
『状況を報告しろ』
もしもし、の一言もないのはいつもの事である。
「全身に多数の刀痕、及び頸部から上を掻っ斬られた死体が一つ。失血死かショック死か。心臓部に貫通した刺創があるが、まぁコイツが致命傷だろうな。血液の酸化具合、筋の硬直具合からして、死後おそらく二・三時間てとこだろう」
要はほとんどいつも通りだ、と告げる烈春に、女の声が興味なさげに『ふぅん』と返す。
『なんだつまらん。それじゃ、今までと何も変わりないじゃないか。まったく下らない。中島。お前、報告するなら、もうちょっと私好みの面白い報告をしたらどうなんだ』
「……報告に面白いもクソもねぇ。ッつーか、状況そのままを伝えなきゃ意味ないだろうが」
正当な反論に、受話器奥からは盛大なため息。
『だからそれだよ。お前の言う事は、一々もっともでユーモアがない。真っ当すぎて吐き気がするね。面白いもクソもない? は。職務怠慢も甚だしいな、中島。上司を楽しませるのも、部下の立派な仕事だろう。ええ?』
「…………」
『――まぁいい。どの道、戯れはもう終わりだ。この滑稽な鬼ごっこにも、そろそろ飽き飽きしてきたしな。余興としては及第点だったが、それでも二週間は長すぎる。幕を閉めるなら、ここらが頃合だろうさ。ゴミの処理が終わり次第、すぐに戻れ。後の指示は追って、折崎に伝えさせる』
ブツリ、と。
それだけ言い残して、通話は一方的に切られた。
「……野郎」
「女郎ね。正確には」
円のツッコミを無視して、烈春は乱暴に携帯を畳む。
くわえていた煙草に火をつけ、気を落ち着かせようと煙を深く吸い込む。
幾分思考がすっきりすると、燻っていた殺意が、なにか余計に研ぎ澄まされた気がした。
「殺す。あの野郎、いつか殺してやる」
「いっつも言ってますね、それ」
「常にそう思ってんだよ」
「なーる。でも前に言ってたじゃないスか。『女には手を出さない』のが信条だって。撤回?」
「継続だ。俺はアレを、女として見てねぇ」
怪獣に見立ててもまだ釣りが来る、と付け足し、烈春は苛立たしげに頭を掻きむしった。
「ま、上司は上司ですから。ゴジラだろうがモスラだろうが」
「全力で遺憾だ」
「んで、その怪獣さんはなんて?」
「死体 片付けてとっとと帰れ、だと」
りょーかーい、と軽く応じる円。
ス、と。少女はその右腕を、頭上に向かって高く掲げた。
その手にはいつの間にか、黒いゴツゴツとした形状のソレが握られている。
どっしりと構えられたグリップ。
無骨に伸びたフレーム。
威圧的なトリガー。
何より、その向けられるだけで寒気を覚える射出口。
――拳銃、だった。
「……いつも思うんだが。いったいどこに隠し持ってんだ、ソレ」
「内緒。オンナノコには色々と、人に言えない秘密があるんですよ?」
指を唇に添え、ウインクをしながら言う。
そこだけを見れば、どこぞのアイドルよろしく美少女然としたものだが、いかんせん片手に握っているのがデザート・イーグルでは、シュールを通り越してモダンホラーのようだ。
ク、と。烈春の口から苦笑が漏れたのも、詮無き事だろう。
「ほ」
トリガーを支点に、人差し指で銃をくるくると回す事数回。
カチン、という硬い音と共に、黒いハンマーがその身を起こす。
銃火器経験者からすれば卒倒モノの行為だが、しかしその化物 に、実際の弾は篭められていない。
妃織部円にとって、それは凶器ではなく、自身の魔術を行使するための、単なる触媒に過ぎないからだ。
篭める弾とは即ち己。
絞る引き金は即ち心志。
暴 と燃え盛る殺傷欲 は、針 と冷め果てた理性 に限って、その鎌首を抑制される。
「The seven is loaded」
魔女の朱唇が祝詞を紡ぐ。
眼を細め。舌を舐めずり。
バレルの先端がぴたりと、数メートル先の死体に照準される。
底止。
寂静とした少女の構えに、烈春は、獲物に飛び掛る寸前の肉食獣を重ねた。
“不動”という動作に没頭する、石像めいたその様。
呼気を止め、気配を絶ち、猛銃 はただひたすら、己の感覚に合致するタイミングを測り続ける。
それは比喩でも、まして錯覚でもない。
真実そのまま。
眼前の肉塊を照準するその口は、真実そのままの意味合いで、標的を見据えた肉食獣のそれに他ならない。
「Gnaw according to a desire――――No.3, Chimaira 」
口上。
爆音。
撃鉄が弾かれ、同時、鉛球が地面に墜落したような「ズン」という鈍い轟鳴が響く。
デザート・イーグルの射線上。
発砲されたのは、弾丸ではなく、獣と思しき型をした『何か』だった。
肩より先に二つ生えた、頭の“ような”モノ。
蛇と見紛うほど長大な、尾の“ような”モノ。
一本一本がサーベルめいて太い、爪の“ような”モノ。
憶測の域を出ないのは、それの全身が隈なく満遍なく、まるで墨に浸されたかのごとき純黒であるからだ。
尋常ならざる奇形は、さながら、小さな子供がデタラメに創った影絵のよう。
違いがあるとすれば一つ。平面に映る影と違い、その『何か』には、生物としてあるべき質量とZ軸が確かにあった。
架空に在るべき幻想は、その時間、確かに現実世界を侵食したのだ。
「――――――!」
無音の咆哮に大気が竦む。
二つの頭蓋の一方――一際容積の大きい片割が、その口元を上下に、百八十度近い角度でがぱと開く。
餌を前にした獣の取る行動など、およそ一つを除いて他にあるまい。
冥闇 に満ちた巨大な口腔。
舌と牙の区別すら着かないそこは、見る者に底のない井戸を想わせた。
暴風と化した影絵の怪物が、死体に向かって肉薄する。
本能に従い、欲望に従い、純粋に、無垢に、一心に、一直線に、疾駆し、跳躍し、飛行し、襲来し、尾を以って、爪を以って、獲物を封じ、獲物を捕らえ、そして、その暗い顎門が――そして、そして――――、……
■ ■ ■
「ごちそうさまでした」
合掌し、行儀よく、円は掃除 を終えた。
「……相変わらずエグいチカラだ」
片目を伏せ、呆れたように烈春が言う。
視線の先。何もない土地。
肉の一塊も、骨の一片も、血の一滴もなく。
数秒前までそこにあった死体は、まるで始めから何もなかったかのように、その存在を跡形もなく消失していた。
「わかってないなあ。そこがまた、カワイイんじゃないですか」
「どこがだよ」
「なんかこう、バキュームカーみたいところ?」
「……とりあえず、俺とおまえのセンスが相容れない事はわかった」
むしろ、初めからわかっていた事であった気もする。
「んじゃ、行きますか」
じゃり、と。円が踵を返す。
その背中から数歩下がって、烈春もまた後を追った。
何ともなく空を仰ぐ。
藍色がかった中天の彼方。
鉄に隠れた地平の裾に、ぼんやりと白い光が灯っていた。
夜が明ける。
魔術師の時間が、もうすぐ終わる。